被災者復興支援プロジェクト
2006年 04月 03日
一度行ったら忘れられない。それがニアス島です。地震の復興支援が目的でのんびりした時間など無かったが、無惨な災害の爪痕が残り、いつ解決するとも思えない難儀な避難生活にも関わらず、誰もが明るく、心がやさしい。伝統家屋に見るようなすばらしい文化を育てた優れた民族に違いない。落ち着いたら必ずまた、ニアスの人々に会いに行きたいと思ったのでした。ほんの一端ですが紹介します。
■現地記録と写真
↑↓水源地を目指し導水管調査に案内同行した少年は、スルスルとヤジの木に登り天然のミネラル水を供給してくれた。 *記録写真
・ニアス島被災地の状況
・簡易水道状況調査
・簡易水道支援の調印
・手押しポンプの支援調査と調印
・現地メデアの取材と報道紙
・ニアス島での民際交流
・現地協力NGO-LPAMとスタッフ
・プロジェクト参加メンバー
・ニアス島民族とは
・先頭に戻る
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↓ニアス伝統家屋・ヒリアマエタン上村への道。急な長い坂を喘ぎながら登る。
↓きつく長い坂道と暑さで、途中何度も休憩。 ↓キリスト教徒が多く教会があった。後方に海を展望。 ↓最後の登りは石段。車は登れない。自分の足だけがたよりだ。 ↓着いて驚いた。こんな立派な部落があるとは! ↓地震被災者が一時この広場に避難。強靭そうな家屋も倒壊を心配、皆、この広場で寝泊まりした。今は引き上げていない。 ↓これは世界遺産ものだといったら、ニアスにはもっとすばらしい村があるという。 ↓飛び石。敏しょうで強靭な足腰を誇るここの若者には簡単?一人前の大人の証か? ↓集会場もあった。 ↓電気も来ている。一部の家にはテレビアンテナも。 ↓この村の王様の家。 ↓ちなみに王女様。きれいに撮れたら送ってといわれた。どうしよう? ↑↓名家だけに教育もしっかりしている。誉れ高き家柄だ。 ↓中には倒壊を恐れて突っかい棒?がしてあった。 ↓帰り際、石段のところの家の人がヤシをふるまってくれた。 ↓その奥さんと子供。 ↓ニアスの人はなんと優しく親切か。大きな芙蓉の花が見送ってくれた。 ↑↓帰りに会った子供達。学校の帰りらしい。皆明るく屈託が無い。子供の笑顔に救われた。
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by sien05
| 2006-04-03 14:35